明治天皇が想いを馳せた!?大塔宮護良親王が眠る☆鎌倉宮

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鎌倉へお参りへ行くことにしたのは、横浜に住む友人と一緒に行くのにちょうどいい場所だったからです。

パワースポットで有名な鶴岡八幡宮や、あじさいで有名な長谷寺、鎌倉のシンボル大仏さまがいらっしゃる高徳院など、鎌倉にはお参りしたいお寺や神社がたくさんあります。
そのなかで私たちは「獅子頭」が見てみたいという理由で鎌倉宮を参詣しました。

fuku41さんによる写真ACからの写真

『鎌倉宮』の名付け親は明治天皇

鎌倉宮は、大塔宮護良親王を祀った神社ですが、その創建は明治天皇の勅命によるものでした。
徳川慶喜が大政奉還を行いおよそ200年続いた武家政権が終わり、明治新政府は王政復古、祭政一致をスローガンに、天皇中心の中央集権国家を目指しました。

〇王政復古:王政から武家政治・共和制に移った後、再び王政に戻ること。

〇祭政一致:祭祀(さいし)と政治とが一元化していること。宗教的行事の主宰者と政治の主権者とが一致していること。また、その思想並びに政治形態。古代社会に多い。
そのひとつとして、明治新政府による神社の創建がなされたようです。

なぜ、大塔宮護良親王だったのか

大塔宮護良親王は、後醍醐天皇の皇子で鎌倉幕府討幕および天皇親政の建武政権成立の功労者として征夷大将軍に任ぜられるも、足利尊氏と対立。9カ月にもわたる幽閉ののちにわずか28歳で生涯を閉じられました。
明治維新により武家から政権を取り戻した明治天皇は、鎌倉幕府からの天皇親政成立を成し遂げた大塔宮護良親王に思いを馳せた、ということでしょうか。

ご由緒

鎌倉幕府の横暴な政治に、国を憂いた後醍醐天皇が、息子護良親王とともに比叡山にて討幕の挙兵を計画しますが、幕府に知られてしまい、天皇は隠岐に島流しとなります。
親王は名前を護良(もりなが)と改め、天皇の代わりに楠木正成らと戦を続けました。
その間に、各地の武士が討幕を目指して次々と挙兵します。足利尊氏、赤松則村らが六波羅探題を落とし、新田義貞が鎌倉に攻め込み、鎌倉幕府は北条一族と共に滅びました。
親王はこの功績により、征夷大将軍となりますが、尊氏がその地位を欲して諸国の武士へ力を誇示したため、親王は尊氏による幕府擁立を危惧して兵を集めます。
しかし、逆に尊氏の謀により、鎌倉・東光寺の土牢に幽閉されてしまいます。さらに翌年、尊氏の弟・足利直義が、残党集めて鎌倉に攻め入った北条軍に敗れ逃れる際に、家臣・淵辺義博へ親王の暗殺を命じます。9カ月も幽閉されていた親王は、戦うこともかなわず、わずか28歳という若さで生涯を終えました。
明治維新により天皇に政権が戻ると、明治天皇の命により、親王終焉の地・東光寺跡に親王をお祀りする鎌倉宮が創建されました。

はりこま君
はりこま君

護良親王は鎌倉幕府討幕の英雄として語り継がれているんだって

御祭神

主祭神
大塔宮(おおとうのみや)護良親王(もりながしんのう)

南方社 御祭神 : 持明院南御方(みなみのおんかた)
村上社 御祭神 : 贈従三位左馬権頭村上彦四郎義光公

お参りに行ってきました

バスを降りると緑の香りをいっぱいに含んだ風が爽やかに吹いてきました。
見上げると真っ白な鳥居がまぶしいほど青空によく映えています。

手水舎で清めた両手を拝殿で合わせます。
友人と二人でお参りに来られたことを感謝しました。

御朱印を授かりに授与所を訪ねると、可愛らしい御朱印帳袋が目に留まりました。

護良親王ゆかりの地、西の古都・奈良で作られた亜麻(リネン)の御朱印長袋です。
絵柄は『鎌倉宮のリス』と『吉野山の山桜』。リスは境内のあちこちに住み着いているそうですよ。
私は御朱印袋を持っていませんでしたし、可愛らしさにひと目で心を奪われたので、こちらも授かりました。

御朱印を待つ間、拝殿へ戻る途中に土器の欠片のようなものがたくさん積まれた不思議な場所がありました。『厄割り石』といい、かわらけ(素焼きの土器の盃)に息を吹きかけて、厄割り石で投げ割ることで、厄を祓うことができるそうです。かわらけは一つ100円。それぞれ一つずつ持って厄割りをしたのですが、友人は一度で割れずに焦りましたが、もう一度力を込めて投げ割ればいいそうです。二度目で見事にぱっかり割れていましたよ。

小平次さんによる写真ACからの写真

拝殿の奥へ進むと「村上社」があり、その御前に甲冑を着て合掌をする木像がありました。

小平次さんによる写真ACからの写真

これは「身代わりさま」と呼ばれ、自身や家族の気になるところを撫でると身代わりになってくれるといわれています。境内の樹齢103年のケヤキの大木で、護良親王のお身代わりとなった村上彦四郎義光を彫り上げたものです。

村上彦四郎義光は、護良親王の臣下。吉野城落城の際に、最期を覚悟された親王を諫め、身代わりとして、親王の鎧直垂を着用して腹を十文字に掻き切った。
身代わりさまを撫でさせていただき村上社に手を合わせ、授与所に戻りました。
帰りのバスを待つ間にと、参拝者休憩所に立ち寄りました。するとそこに鹿の剥製があるではありませんか。
鹿が大好きな友人と心を弾ませて近づいてみると、それは、二匹の牡鹿と一匹の小鹿でした。
今にも動き出しそうです。そばには「大塔宮の神鹿」と書かれています。
一緒に掲示されている新聞記事によると、戦後、鎌倉宮は「神鹿」として鹿を飼育していましたが、親鹿があやまって小鹿を踏み殺してしまったそうです。生後3日目のことだそうです。
比べてみると、小鹿(バンビ君)はとても小さかったです。
昭和三十四年に『神鹿』が奉納されてから、平成四年に最後の一頭が亡くなるまで、三十三年間にわたり「大塔宮の神鹿」は多くの参拝者に親しまれていたそうです。
今回は、ご由緒などをよく調べずに行ってしまったので、記事を書いてみて改めてお参りに行きたいという気持ちがわいてきました。
その時には、拝観料を納めて、本殿裏にある土牢や宝物殿にも足を伸ばしたいと思います。
ちなみに私たちのお目当てでありました『獅子頭』は、休憩所にて観ることができました。大きいものから小さなものまで並んでいて圧巻でした。
護良親王が戦に赴かれる際に、「兜の中に獅子頭のお守りをしのばせて、自らを守っていただいた」という言い伝えから、創建当初から『獅子頭のお守り』が授与されています。
獅子頭は、古くから「厄を食べ、幸せを招く」と言われており、「厄除け・幸運招来・交通安全・身代わり」などの願いを叶えるお守りです。
はりこま君
はりこま君

獅子頭のお守りは、玄関先や車に外側へお顔がむく形で飾ってね

御朱印

鎌倉宮では、通常の御朱印、見開きの御朱印(月替わり)、神鹿の御朱印があります。
今回は「神鹿の御朱印」をいただきました。

アクセス/地図

JR鎌倉駅東口より京急バス10分(4番乗り場【鎌20】大塔宮行き 大塔宮下車

はりこま君
はりこま君

参拝者用に乗用車20台程度の駐車場があるよ

〒 248-0002
神奈川県 鎌倉市 二階堂 154
鎌倉宮 社務所
電話番号 0467-22-0318 / FAX 0467-22-3755
午前9時から午後4時まで

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